アメリカ式民主主義:武器を持って政府を監視しろ
だまされてた!・・・のか?
を受けまして、若干の所感をエントリーに。

思い出したのは、小学生か中学生ぐらいの時に読んだ、なだいなだ先生の「権威と権力」という本。詳しい内容は思い出せないのですが、「権力に安穏とするものは、その権力に追われる」みたいな表現があったかと記憶をしています。イメージは、王様が王様であることのエッセンスをつかめなくなると、なんだか追い出されちゃうみたいなイメージです。「自分の頭で考える」ということは、オリジナルに関する議論と近しいところがあるかもしれないと思ってしまいます。magronbassさんの意見と同調するところですが、定義も難しいし、かつ実践することもむずかしい。
 たまたま、行動経済学という本を今読んでいて、少しタイムリーだな思う話しが書いてあった。
 代表性ヒューリスティクから生み出されるバイアスという例で、
「重い感染症にかかっているかどうかの検査で陽性であっても、その病気がきわめて稀なものであるならば、そして検査の信頼性が100パーセントではない限り、感染していない可能性が直感的よりはるかに高いのである。病気である確率は、その病気がどの程度の発生率であるかに依存するから、基準率は無視できないはずである。(中略)検査で陽性であるという代表性のある事実だけが注目されて基準率は無視され、その結果、病気に感染していると過大に信じ込んでしまうのである。」とのこと。
代表性のある事実が着目されて基準率は無視してしまうことは自分自身も多いと思う。自分の頭で考えていないということの一例になるのかもしれないし、自分の頭で考えることの難しさの一例なのかもしれないなと思いました。ネットの世界では、人気に応じて閲覧される可能性が増加するので、代表性のある事実がより人の目に触れる気がします。そういったことのアンカリングも、自分の頭で考えるを考える上では、大事な要素になるのかもしれないなと思いました。

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