ユリイカ11月号 特集 ドストエフスキー を手にとってみて
2007.11.01|shugo|HUMAN・HEALTH|PermaLink|Comments (0)
最近渋谷のブックファーストが昔旭日屋書店があった場所に引越しし、事務所から一番近い本屋がパルコの地下の本屋になったので、そっちにでかけたら、ドストエフスキーを特集しているユリイカが目に入ってきた。
バフチンの入門書によりドストエフスキーのポリフォニー的文体に関心を持ち、処女作「貧しき人々」と最後の作「カラマーゾフの兄弟」を一気に読んだ記憶は新しい。最近はカラマーゾフの兄弟の新訳(訳者:亀山 郁夫氏)が出たり、続編を想像して書いた作品「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)(著者:同氏)などなにかと話題になっている。
そんな中ユリイカの「対談:沼野充義×柴田元幸 管捲く言葉の渦から」をさらっと眺めてみたら、読後感が甦る気がしまた読みたくなった。
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沼野:(前略)もっとも、ドストエフスキーの場合、本当にすごいのは、酒場で管を捲くというような話から、いきなりある種のものすごい高みにまで飛んでしまうような振幅の大きさなんですが。
柴田:たしかにドストエフスキーの人物たちは、自分が人類を代表するのであるという意志をみせるような感じに時々なりますね。
沼野:人類を代表するというか、人類に対して責任を負うという感じですね。
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「地球時代」に生きる中で、竹村教授との仕事(地球大学、地球回廊、ユビキタスミュージアム)などは常にこのような気概を感じるわけだが、僕自身がリードし、手がけているプロジェクトにはまだ「人類に対しての責任」といった迫力が出ているとは思えない。
この決定的な欠如を、どのように捉え、解決していくかが、僕やフェイスの今後の課題だと思う。
