「日本ってさぁ〜」
2007.09.05|magronbass|SELF-GOVERNMENT|SOCIETY・GOVERNANCE|PHILOSOPHY|PermaLink|Comments (2)
「日本ってさぁ〜、ノーって言えなくて流されやすいよね」
「日本ってさぁ〜、技術の改善はできるけど、発明は苦手だよね」
「日本ってさぁ〜、ミーハーなブランド好きが多いよね」
ま、内容はどうであれ、日本人って日本についてよく語る。 これって、考えてみると結構不思議な話。 だって、ある社会に属している人が、その社会に対して客観的な意見を持つ事は、属している人である限り、できないはずじゃん。 帰国が海外経験と比較するならわかるけど。(別にそっちのほうがいいとかそういうのではなく) これが、日本から一歩も外に出てない人でも、なんとなく自分のなかに「日本」というものがあって、それをあーでもない、こーでもないって文句言う。
さらに考えてみると、だいたいの発言が「文句」である気がする。 何度も何度も書いてるけど、敗戦がきっかけという気もするけど、やっぱりアメリカ様々で、ついでにヨーロッパもかっちょいい。 「いやぁ〜、日本はまだまだだねぇ〜」なんて、最終的には欧米化してしまいたいような発言も多い。
ここで起きているのは、「理想の投影」と「話題のフォーカス」。 ま、今勝手に作った言葉だけど、とりあえず説明する。
理想の投影は、なにも国家レベルでしか起きないことじゃなくて、個人レベルで日々起きている。 隣のぶどうのほうが甘い。 それを言い換えると、「自分ちのぶどうが甘ければいいのにな」という根本欲求があって、それを「隣のぶどうが甘いから」という理由をでっちあげて、「正当化」しているわけ。 逆に、隣のものをいろいろ見て、それを基準に自分ちのものを比較した場合、隣んちのどうでもいいものや、よくないものは自動的にフィルターされてしまう。 隣んちのスイカは全部腐ってても、やっぱり「ぶどうが甘い」というところに目がいってしまう。 で、その結果、「あれ、うちのも甘いと思ってたけど、比較すると甘くないな。 うちのぶどうって、甘くないんだ」となってしまう。 ここで、「隣のぶどうって甘いな、隣んちはなんですばらしい家なんだ」と思ってしまう人が多いが、隣の腐ったスイカに目がいく人はあまりいないだろう。 結局は、見たいところを見て、思いたい事を思って、勝手に自分の状況が悪いと判断していることが多いと思う。 他人のいいところ見つけて、自分と比較すれば、かならず他人の方がよく見える。 しかも、それにばっかり執着していたり、「自分の状況はなんて最悪なんだ」と落ち込んでいると、自分の状況のいい部分を見失いがち。 案外、自分ちのスイカは甘かったりするわけですよ。
話題のフォーカスというのは、使いようにのってはポジティブに働く。 日本人が日本について語るのは、自国の問題を取り上げることが問題にならないから。 問題は、アメリカのように、なにか自国で問題があると、真っ先に、他国にフォーカスを移す場合。 環境汚染の話題が出れば中国を指差す。 「日本産の車はかなりグリーンだ。 アメリカなんてまだまだですよ〜」という話題にはならない。 かならず、自分より下にフォーカスを移して、「中国はかなり汚染してる、なんてメチャクチャな共産主義国家なんだ。 放っておけないな」という結論になる。(話題もそらそうとしたり) なので、日本人が日本に関していいことを言おうが、文句を言おうが、結局自国に対して厳しく、シビアなのはとてもいいことだと思う。
日本をどうこういって、改善していくような場。 それが以前はジャズ喫茶だったり、だれかの4畳半だったのかもしれないけど(オレの中での学生運動時代の超勝手なイメージ)、今ではomnifaceのようなオンラインスペースがそれにあたるのかもね。
Posted Comments
しかもその場合の「日本」にその言ってる本人が入っていないこともあるんだよね。こういう括りで話すときって、集団と個人が乖離してることがよくあると思う。国民態度は悪いイメージあるけど、その国の友達はイイヤツ、みたいな。
いずれにせよ、個人の問題から目を逸らすための口上に過ぎない感じがするんだよね。特に日本人の場合は(って自分でも使っちゃうが)。何故なら、正確に言えば、その客体化された日本が、本当にその通りかなんて証明できてないで言うわけだからさ。「流されやすい」と言ったって、じゃあ日本人の何%がホントに流されやすいかなんて分かってないで言っている。でも何となく共有しているイメージがあるから「そうだよね~」となる。そっちの共感の方が不思議な感じがする。
結局のところ、周りとの関係性の確認のために標準化した日本人像を常に捉えなおしながら、自分の立ち位置を調整するために、自分のことなのにあえて客体化(というか一般論的に)して言っているような感じがする。
繰り返しになっちゃうけど、「理想の投影」は、「隣の芝が青く見える」ということもありつつ、「欧米はすごい」⇒「日本はダメ」⇒「日本がダメなら自分がダメでも責められる余地はない」といった自己弁護のために使われていることの方が多いんじゃないのだろうか。
なーんてちょっと斜めに見たりして。
ホントは、自国をどうこう改善していく場は、愚痴を言い合う場/馴れ合いの場ではなく、実際に活動している/していた人たちが建設的な意見交換をする場だと思う。知験を伴わない口だけのシビアさでもね…。
2007.09.06|taku
>>知験を伴わない口だけのシビアさでもね…。
確かに。 インターネットの普及でさらに知識を伴わない情報の問題も入ってきてるしね。
にしても、タクがいってることで思ったけど、「自己弁護」のためなのはもちろんだけど、その原理がそもそも「話題のフォーカス」を使って、個人(自分)からフォーカスを得体のしれない客体化された「日本」に移して、話をそらしているということなのかもね。 いずれにせよ、愚痴を言うのも簡単だし、理想を語るのも簡単。 やっぱりそれを実現させるための一歩目に歩みだすことや、「違う」と思ったらそれを変えようと努力することが決定的だよな。 国の改善はもとより、ダイエットとか、健康管理とかも。
2007.09.07|けん
