インターネットの可視化

2007.10.15|taku|SOCIETY・GOVERNANCEMEDIA・COMMUNICATIONPHILOSOPHYPermaLinkComments (9)

internetmap.jpg
internetmapL.jpg
インターネットのトラフィックを可視化する試みが行われているが、それを見て思うのはやはり米国を中心とした欧米の通信量が圧倒的に多く、世界が繋がったとは世間的には言われているが、使い方は未だにローカルだし、接続がままならない地域もたくさんあることが分かる。

地域差については、実際に海外に行った経験がある人なら経験的に分かると思うが、回線があったとしても、ナローバンドだったり、天候の影響などで物理的に切断されていたり、且つ復旧に何ヶ月もかかったりと、普段当たり前に使えている状態とはほど遠いところにあるのが分かる。

ただ、一方で、インターネットの便利な点は、やはり空間を飛び越えられるヴァーチャル性にあると思う。(ここではリアルの反対をヴァーチャルとはしない)実際に、以前関わっていた地球回廊でも、同じ地球上に住む人たちがお互いの日常を垣間見るという感覚は、「地球人としてのマナー=自分と同じように、地球に生きる人たちの日常の集積が世界を作っているという感覚」を育むことに機能すると感じたからだ。TVとは違って、マスコミを仲介せず本当にその地で日常を生きる人と、回線スピードギリギリでつながり、会話できるという体験は、インターネットならではのものだろう。(回線が将来的に増強されれば、もっと情報量的にリッチなコミュニケーションも可能になるかもしれないが)

そういう前提をベースにインターネットを捉えなおすと、まだまだこれからな存在だということが分かる。ツールとしての可能性はあるが、まだ十分に実現されていない。そして、どちらかというと優先すべきは、スピードよりも幅(カバー率)だということも分かる。


でも、残念ながら優先順位は既得権益者寄りに構成されるため、その隠された情報の非対称はあえて残されても修復されることはなかなか無いだろう。これは、電話回線を可視化したものだが、アメリカ中心だということが分かる。
nsa_2005_traffic_flows_630px.jpg


いくらネットに空間を飛び越えるバーチャル性があったとしても、地球全体をカバーする無線回線でもない限り、回線ケーブルという物理にしばられてしまう。(無線だって衛星に縛られる)それはサーバーについても同様で、やはり持てる国が強くなってしまうという構造なのだ。

もし、NGNの次のネクストジェネレーションネットワークがあるとすれば、それはナローバンドでもよいから多中心で地球上を余すところ無く包む、ローコスト・低環境負荷で、地球上に住む様々な人間の価値観のマッチングを実現する、人類の多様性担保するネットワークになって欲しいものだ。

Posted Comments

おおきな意味では、インターネットの普及がそこまで重要だとは必ずしも思わない。 実際、普及している地域で発生している情報の流通の加速と範囲拡大による、情報価値の低下の問題や、ユーザー層拡大によるネットの悪影響の拡大、ネットのマイナスの効果を考えていくと、世界をつなげる平和への道とはほど遠い現実を認めざるを得ないと思う。

結果的に、情報の流通は教育的な観点、価値観の交流っていう意味では,homogenize(すべてを統一)する力がとても強いと思う。 多様性にはある程度の壁が必要で、価値観が意味を持つためには価値観の差が必要。

結果的に、ネットは人と人とつなげる技術にはならないと思う。 擬似的なつながりは「つながった」という錯覚を生み出し、そこから本当になにか行動を起こす「きっかけ」になりうるとは思うけど、それが現実世界にクロスオーバーしないと、結果的には意味がない。 結局つながるということの意味は本質的に変わらないし、本当の意味でつながらないとつながりはしても、何も生まれない。

情報に関してもそうだと思う。 ネットで検索して見つけやすい情報は誰もが知っている可能性が高い。 そういう情報は実質、価値がなくなってしまったという見方ができる。 「だれもが知っている情報」の宝庫となったネットは、意味のある情報を調べるには向かない。 本当に重要な情報はネットに乗らない情報だと思う。 その場でしか手に入らない情報。 「行ってみればわかるだろう」というタイプの情報。 アメリカは特にそうだと思う。 ネットでの現実像と、現実は、まったく違うことが多い。 レストランを検索しても、すでに2年前につぶれていたり。 ブログも、広告代をもらって記事を書く。 ネットほど、「真実」がねじまがった空間はないと思う。 ものからそうだったのではなくて、普及が原因で、それに目を付けた商売によって、そうなってしまった。

基本的に、これらの技術が可能にする行動や教えてくれる知識は、確かに何もないときより多い。 場合によっては、ネットがあった方が人生が豊かになっている状況も多いにあり得ると思う。 ただ、その利便性を理由に、ひととつながる能力が低下したり、自分から積極的につながっていく努力を怠るようになったり、ネットで見つけれる他人の知識の便利さがゆえに、自分で学んだり体験したりする努力を怠ったり、その達成感を忘れたり、こういう大きなスケールでの影響がとても恐ろしい。 便利にすればその機能が退化するのは当たり前なことだと思う。

人種の多種多様生を保持するネットワークになって欲しいとは思うけど、商売道具である限りは、それはあり得ないと思う。 世界の人の価値観のマッチングができるほどの浸透率と効力をもったネットワークが商売目的で使われた場合、世界の人の価値観を操作して、商品を売る方向に力が加わるに決まっている。 ICQが最終的には現在の大半のIMみたいに、広告メディアになってしまったのも一例にすぎないと思う。 

重要なのは、アメリカに舵を握らせない事だと思う。 どう考えても、前回と同じ間違えはしないと思う。 軍用だったから、いろいろと自由があったり、あまり取り締まられていなかったけど、もう一度ネットワークを作り直していいときたら、今度はそのチャンスを逃がすわけがない。 全世界の誰でも、骨の髄までアメリカ政府にトラッキングされて(公式・非公式関係なく)、おそらく、対テロを口実に、かなりの情報を記録されるだろう。 そうすると、そういった情報を管理する個人業者がでてきて、それを守る商売、攻撃する商売ができる。 

今話しが出ている内容で「企業に対して購読料を払う」という、ケーブルテレビに似たシステムの案がある。 これは、ヤフーを購読している人は、ヤフーにアクセスしているとき、優先的に帯域をもらえるというような考え方で、これが起きてしまうと、ネットは死ぬ。 いまどこまで話が進んでいるかは知らないけど、アメリカは着々と、次世代のネットをいかに縛るかを考えている。 世界はそれを追い越さないとダメだと思う。

次は、ネットを広げるというのもあるけど、いらんものをいったん洗い出すってのも重要かもね。

2007.10.16|ken

kenのコメントを整理してみると

インターネットはマイナス効果の方が現状では大きい
 →繋がったという錯覚を生むだけで、現実世界の繋がりにはならない
 →ネットの情報は誰もが知ることが出来ると考えると価値がない
  (本当に価値がある情報は、その場でしか手に入らない情報)
 →ネットの持つ利便性ゆえ、人間の繋がる力が低下する。

なぜ、マイナス効果が目立つようになったかというと
 →基本、商売道具として使われているので価値観を操作する方向に動きやすい
 →アメリカが主導して囲い込もうとしている


という理解でよいかな?

ここでのキーは、kenが「いらんものをいったん洗い出すのが重要」と言っているように、「本当の価値」とは何か?を考えること、それとその「本当の価値」が何の役に立つのかということだね。

それをケンの出したコメントからキーワードを抽出するとすれば
 ・「現実世界の繋がり」(≒センシャス)が大事である。
 ・「その場でしか手に入らない情報」(≒ロケーションベース)が大事である
 ・「繋がる力を持つこと」(≒関わりを持つ自発性)が大事である。
 ※≒は、僕の解釈ね。

少なくとも、この3つをクリアしないと、多様性を担保するネットワークにはならないだろうという仮説だと考えてよいかな。

ただ、ここで難しいのが「その場でしか手に入らない情報」が価値を持つ場合の基準だと思う。絶対的ならまだしも、相対的な価値があるとする場合、情報の非対称を容認することにはならないだろうか?(絶対的な価値を認め合う社会が、多様化社会へのヒント)

非対象を容認することは、囲い込みを促すことに繋がるだろう。(効率的に情報の小出しをするなら、権力構造を作らざるをえない)商売道具としては、そっちの方が効率化しやすいだろうし、価値観を操作しやすいしね。

これをもうちょっと引いて見てみると、商売=経済価値軸主導派は、情報の非対称性を善とするから、価値多様化派とはぶつかりあってしまう構造となる。一方で、非対称性をつきつめていくと多様化とは逆の方向に向かってしまうだろう。単一価値の方が操作しやすいわけだし、何より市場迎合型のマーケティングという手法が価値観の均質化を起こす。そうすると、多様性を欠く=変化への対応力の低下を招き、人類的には脆弱になってしまう。

ここで気になるのは、経済価値軸主導派の狙い。普通にイメージしても、破滅の方向しかないような気がするんだけれど、それでも良いのか?それともその先に新たな繁栄があるのか?つまり、彼らにとっての「本当の価値」は何なのか?

もし無ければ、やっぱり価値多様化派の気付いた人たちで戦ってくしかないのだろうなという気もするんだけれど。僕らとしては多様な価値になりうるものに「本当の価値」があって、それがあることで人類・生命の存続に役立つと考えているわけだから。

このイメージって、映画のマトリクスの世界観にオーバーラップするなあ。後頭部のケーブルを抜かれた人は、気付いてしまった以上、もう”作られた現実の幸せ”に戻ることはできない。みたいな。

2007.10.16|taku

今読み返して見ると、kenが書いたことと同じような話してるな~
ネットワークうんぬんを問わず、
「多様な”本当の価値”はどうやったら生まれるのか?」
を考えた方が本質的&建設的かもしれん。
どうしたら生まれると思う?

2007.10.16|taku

Information asymmetryだよね。 非対称性は自然発生している部分ものと、商売的に人工的に作り出している部分があるわけで、フリーなネット環境は自然発生しているアンパランスを埋め合わせたり、商売目的で作り出されているアンバランスから自分を守るための、正確で、正しい情報源であるべきだと思う。

昔はそうだった気がするな。 96−7年、10年前か。 日本でネット普及し始める前だね。 アメリカでも第一次ドットコムブームが終わるかってぐらい。 そのころは、ネットはまだ、「ここだけの話」的なものが多くて、現実世界より濃厚な情報が多かった。 その当時は、マスメディアの影響なく、広範囲に自分が選んだ情報を伝えるためのネットという認識を持っていた人が多かったのか、もしくは商売目的の不正確な情報やSEOなどの、日本ITブーム+アメリカの第二次ドットコムで入ってきた、あやふやな情報が少なかった。

いまとなっては、ゴミだらけになってしまったネットに、ちゃんとしたものをのせる人が少なくなってしまったのだと思う。 昔だったら、オレとしては、本を読むぐらいだったらネットでなにか見つけて読む、と思っていたところ、最近だと「きちんとまとまった本」を買った方が断然質のいい情報が手に入ると強く思う。 SEOで検索エンジンはおかしくなるし、無数の素人ブログでヒットしても記事の質が低下する。

ネットが昔、真面目な本だとしたら、いまとなってはゴシップ誌になってしまった気がする。 それも、話はもどるけど、パイプがつながりすぎて、価値観の均質化が起きているからだと思うよ。 で、多様性の保たれている部分というのが、パイプのつながっていない部分、現実世界ってわけ。

多様性と価値観ってのは、個人的な意見としては、相対価値観につながると思う。 絶対価値観というものは認知的に持つことができないから、結果的にはすべては相対価値感をもとに形成される。 ただ、どれだけのものと相対的に比較して、位置関係や価値を割り出すかによって、正確さの差が出てくる。 そこで、より多くの相対的な基準値を理解し合える社会というのが、結果的にはもっとも絶対的な価値観に近づくことのできる社会になるんだと思う。 結果的に、多くの相対的な基準点を理解するって事自体が、多様性を認め合うことになるわけじゃん。 多様性を保つ=総合的に割り出せる真実の精度が高くなるってことだと思うよ。

タクのいう相対的な価値である限り、囲い込みが発生しうるというのはごもっともだし、認知の仕組み的に、それを超えることができないと思う。 選び抜かれた基準値2つの間に自分の価値観を作るとすれば、その基準値を操作すればいくらでも価値観を操作できる。 現実であろうが、ネットであろうが、商売であろうが政治であろうが、それは発生するわけだから、話はもどるけど、ネットはそういう状況から抜け出せるための、正確な情報を提供しないといけない。

でも考えてみると、多様性を提供して、相対的に正確な価値観を形成しやすくするためのフレームワークと、一様なものを多様に見せかけて、相対的に意図された方向に価値観を傾けるのも、全部同じ仕組みなのかもね。

仕事にUターン。

2007.10.17|ken

タイムリーに記事があったので、引用を。

---
http://wiredvision.jp/blog/seki/200710/200710251100.php
ウェブサービスの必然的な流れは、私たちが持っている有限の時間をいかに快適に消費させるかという目的の上に乗っかっている。時間の消費に必要なのは情報の多様性だ。ところがレコメンデーションは私たち個々に情報の多様性を提供しながらも、実はマクロ的な見方をすれば人々の平均化された体験を押し付けているにすぎない。人々の行動を平均値に寄せる力がそこには発生するだろう。見た目はアラカルトですよ、バイキングですよ、お好みのものをどうぞという体裁をとってはいるが、人々は楽な方向に進むものである。有限な時間を楽で快適なもので消費していく大衆。そこには言わば「定食主義社会」が待っているのではないかと思えるのである。ロングテールは次第に干からびていくのだ。

2007.10.25|taku

Cultural PluralismについてKenと同じ意見だな。

ただ一点思うのは、包含する価値観の多様性が増幅されて行けば行くほど、「正確な」「絶対的な」価値につながる、というのは、一種のOptimismだと思う。知識が増え、価値観の多様性が増え、従ってより多くの人間同士が価値観を審議し、その中でaufhebenがおき(←恐らくKenの議論の前提となっているでしょう)、結果としてsurviveする価値観はより正確である、という時の正確っていったいなんだろうと、敢えて、敢えて、敢えて思うわけです。

生まれたときからキリスト教を信じきってる中世の僧侶と、雑多な情報の中で「どういう価値を信じるか」を自分で選ばなくてはいけない、価値を信じる基準を探すために本を読んだり映画を見たり人の話を聴いたりしても、結局絶対的価値を論理的に証明することが出来ないということがわかると、便宜的に、選択するでしょ。「俺はこれで行こうかな」みたいな。

結局絶対的なものは無いと考えていいんじゃないかいう考えもあり得るよね。

2007.10.26|Iku

Skypeで皆で集まって
会話しない?

この話はかなり面白いよ。

たとえば、言語は今多様でいろんな言葉があるよね。果たして将来、英語が世界を征服するだろうか?という質問がある。英語は経済的、軍事的、文化的に優位な情報を叙述しているから、Dominateするだろうか?

思い出してみると、2000年前、ローマ帝国がギリシアを滅ぼしたとき、ギリシア語は滅びなかった。それどころか、ローマ人はギリシア語をギリシア人から習って勉強した。なぜか???それはプラトンとアリストテレスがあったからと言われている(象徴的に言えば)。あの深さの思索をする言語としてあの時最も磨かれていたから。

他者に代替されない&魅力的なコンテンツを持っている者が、多様性を確保した典型的な例として語られている。

2007.10.26|Iku

でもね。歴史は全てを物語らない。his-storyだからね。
絶対、事情があるんだって。裏の。権益に通じる何かがね。

2007.10.26|taku

たくちゃんの記事って、アメリカの提唱する「自由」にすごく似てる。 こっちきてCMとか見てると5分で明らかなのが、「チョイス」が世界でも最も重要だということ。 選択肢があれば、そこには選択の自由がある。 この商品はこの選択肢を与えてくれるから、間接的にあなたに自由を与えている。

ま、これがバイキング的なところで、選択肢は実在するし、それによって消費者の選択肢が増えているのも事実。 ただ、その選択肢によって消費者の選択肢は確実に形成されていて、しかも制限されている。 選択の自由は、選択肢が用意されて居る場合、その選択肢によって制限されてるわけだよね。 あたりまえだけど。

ま、インターネットでもまったく同じわけっすよ。 もとはそうじゃなかったんだけどね。 ネットビジネスが盛んになってからそうなっちゃったね。

2007.10.27|ken

Post a Comment

最近のコメント