1枚の写真
2007.07.25|naoaki|LIFE STYLE|PermaLink|Comments (8)
3年ぐらい前の雑誌「広告」が家にあったので、見返していました。2003年 11月号特集「写真」の号で、林家夫妻が表表紙裏表紙になっている号です。デジカメや携帯カメラの普及で写真を撮る枚数が、一人あたり増えてきてという流れの中で、アラーキーこと荒木経惟さんが、これからのプロはどうなりますか?って質問をされて、僕は消えないよ。プロだから。みたいな受け答えをしていた。その中で、なぜなら、と種明かしで、一枚の写真を紹介していた。奥さんとの新婚旅行の写真。新婚旅行なのに、生の中に死が捉えられている。この一枚で、やっていけると思った。と語っていて、この1枚で、というのが、すごいなぁと思った。毎日、シャッター押すこと、刹那さが写真の本質のようなコメントがついていて。この一枚でやっていけると思って、それから毎日写真を撮り続けている。これがオリジナルなんだなと思った。考えや表現に、いろんな人は賛否両論するけれど、なんだか、このオリジナルな感覚の不在感の穴埋めの行為な気がします。one piece と、every day が繋がっている感触が信じるものなのかもしれないなぁと思うと、それが自分にとって何なのか?って質問は、とても野暮だけれど、やっぱりちょっと思ってしまうな。
このページの下のほうにその一枚の写真載っていますが、これは、ちゃんとしたプリントで見たいなと思わさせれる感じです。
Posted Comments
凄いな、これが新婚旅行の写真か. . .
何というか、超越してるというか、圧倒的だなぁ。
2007.07.25|ikeponia
創造性と死との関係ってのはものすごく強いと思う。 オレの場合、大学のときの父の死がものすごく大きな… ん、なんだかわかんないモノって感じで、とりあえず竜巻みたいな、ブラックホールみたいな感じで、ものすごいエネルギーを持っているのがわかりつつも、それを一体どうしていいのかわからない状態がすごくなが続いている。 いまでもまだその心地悪さが健在な気がするけど、それをうまく活力につなげれたらな、って思う。
創作活動が人間の考える事、抱く感情、人間の過去、未来、それらを題材とするのであれば、死はそれをすべて統括してしまうスケール感があって、それがネガティブでもあれば、ポジティブなことでもあると思う。 死自体を題材にするのとは別に、それによって気づかされる事や、思わされる事、そういったものスタート地点に考え始めることは、とても創作活動としては有意義なことだと思う。
創作活動って、結局、本人の意識のレベル次第だと思う。 昨日今日の出来事や、どうでもいい内容、形だけの現実とか、勘違いだらけの感情。 そんなものを「作品」として仕上げたところでどうにもならない。 ま、用途次第ではあると思うけど、芸術性をどうこうってには、やっぱりある程度のコンセプシュアルな成熟度が必要だと思う。 それに関して、死というのは最高の場所に値するんじゃないかな。
もちろん、死といっても、それに伴うテーマとうのは、愛情であったり、亡くなった人との楽しい思いでだったり、死を認識した上での可能性・希望の世界であったり、暗いわけではないと思う。 ただ、そういったポジティブなものと、悲しみとか、怒りとか、ネガティブなものが、あまりにも至近距離にあって、それが死というコンセプトを扱いにくくしてるとも思う。
とはいえ、それぐらいおっきいことを考えて、扱って、いじれるような精神的なエネルギーとか、理解力とか、意欲… なんか、魂とか根性の次元だよね。 そういったものってすごく重要だと思う。
デジタルどうこうとか、メディアどうこうとか、そんなちっぽけな問題は、意識の問題に比べたらさほど重要ではない気がする。
2007.07.26|アメリカのキュウリは皮をむく
意識って、結局分かっているようでいて、分かっていないことだからね〜。
死って、生物学的に動かなくなるということと、意識体の現世との乖離が起こることだと思う。それから連想しやすい「存在」というのも考えてみるとあやふやなもので、「死」=「存在がなくなる」わけじゃないからね。人間が社会を形成している以上、「意識されていること=存在」となるから、誰かが覚えてくれている限り、その人は存在し続けることになる。物理的にはいないけれど。だから、人は歴史に名を残そうとする。物理的には不死は無理だとしても、名が残ることで永遠の存在になれる可能性ができる。キリストなんかいい例かもしれない。やっぱり、ビッグバンから始まって以来、この宇宙には根源ルール/行動の原点として「存在し続けること」があるような気がしてならない。その究極形が意識体なんだろう。
そして、その意識体に触れられる人というのは特別で、いわゆる霊感(インスピレーション)を持っている人。いわば観じられる人ですな。そういう人に、芸術家は多いと思う。どこか中空にただよう意識体に触れ、そこから得たメッセージを5感で感じられるように翻訳する。何かが憑いたように物作りをするということにも表れてるかもしれない。
うーん、眠いのでこの辺で。
2007.07.26|taku@眠いので適当です。
意識体か。 確かに、体験やら思想を濃縮していくと、意識というか、純粋な情報に近い状態になるのかもね。 きわめて価値の高い情報。
その純粋さというか、ピュアさ、ナオアキくんのいう「オリジナル」。 なんだか細かいことはさておき、いずれにせよ、原理は単純だよね。 その、原動になってる理念・原理というものが。 例えば、アラーキーの場合は、彼の失ったもの、すなわち、彼が知っていたもののはかなさ、重要さ、めずらしさ、リアルさ、というものを、世界に知って欲しい。 彼と同じくそういうものを重要だと思って欲しい。 そういう単純な欲求が根底にあるからこそ、たった一枚の写真でも、やっていけるとなる。
そんな原動を持つこと。 持つことを自分に許すこと。 その原動を自分で決める権利を自分に与えること。 そういったところから、本当の芸術家・ものづくりの意識って芽生えると思う。
なにも天才といわれてる人だけのものではなくて、だれでも、どんな状況でも、その力を自分に授けることができる。 そうすることによって、歴史に残る巨匠たちの、創作によって示された人間の可能性を引き継いで、芸術というものを生かし続けることができる。 (意識されること=存在)
でも、大きな意味で、芸術関係ある、ない人ひっくるめてだけど、芸術が創造活動全般だとして、創造活動全般が人間の知恵をしぼった活動だとすると、工夫して、努力することが、最終的には人間の可能性を意識させて、持続さるということになる。 すごく当たり前なことだけど、努力して、工夫して、頭つかって、ちょっとでもいいアイデアを出すことが、「希望」を未来へのこすための「責任」だと考えると、かなり責任重大だね。
2007.07.26|単細胞
利他的と利己的の究極的な融合なんだなと、直感で思ったよ。自己の証明が、一人では出来ないとすれば、利他的に追求することが最終的には利己的になる。
もっと言えば、未来に向かって投資しつづけることは、自分に対しての最大のバックになる(可能性がある)ということか。その可能性に向かって投資できるだけの、確信/発見を得られた(あるいは、得られそうな予感がしている)人が、創造活動へのモチベーションを最大限に高められるのだろうなと。まさに、宇宙とつながってるタイプの人間ね。因果応報、無為自然、色即是空。
2007.07.26|taku
その原動を自分で決める権利を自分に与えること。
この視点が弱いのが、日本人気質なのでしょうか?どうでしょうか。河合さん本を読み直している人!
2007.07.27|naoaki
いやぁ、それは日本人だけとも限らないと思う。 河合さんの視点はわからないけど。 ま、「日本人の気質だ!」と思って、意識を変える理由にするのもいいと思うけど。
でも、アメリカは別の意味ですごく似てると思う。 日本だと「いや、自分なんて」とか、「そいうのは天才じゃないと」とか、いまいち自分にゆだねる創造の権利に関しては消極的かもしれないけど、こっちは屈折のしかたが少し違う。 こっちだと、「考えるための思考力がない」とか、「どうやったらPR的にかっこよく見えるか」とか、「麻薬を売って今月の家賃を払いたい」とか「どうやったら最小の努力で最大の利益を出せるか」とか。 結局意識がわけのわからない方向に飛んじゃってる人は多いと思う。
結局、ここのみんなも努力してる最中だと思うけど、それって、精神・意識の成熟なんだと思うな。 自分の原動って、つねに何かがあるけど、それの大きさとか重大さってのが、精神の成熟に応じて変化していくわけであって、大半の人は、結局、自己中なものだったり、勝手な思い込みだったり、消費者社会によって作り上げられた偶像だったり、そういう、どうでもいいものをチョイスして、「よし」と思ってしまう。 問題は、そのチョイスを無意識的にしてしまってることなのかもね。 で、本質的なことを考え直すのも面倒だから、とりあえず日々を過ごしていって、今日がよければ別にいいじゃんって。 自分の本質的な部分を無視することによって、自分のストレスを下げてるんじゃないかな。
自分と面と向かうってのは、実はすごく恐ろしいことで、外観的には鏡に向かって身だしなみをしても、思考レベルでそれをするのはとても怖くて、難しい事。 これは人類の90%ぐらいが避けようとしてることかもね。 「頭の鏡チェック」、いいフレーズだね。
2007.07.27|トロ注文したら、どれがトロだかわからなかった?!
その後には「心の鏡チェック」か。 ひゃ〜、恐ろしい。
2007.07.27|Beauty and the Beastはあさってで終了
