アメリカ式民主主義:武器を持って政府を監視しろ

2007.08.31|magronbass|SELF-GOVERNMENTEDUCATIONSOCIETY・GOVERNANCEPHILOSOPHYPermaLinkComments (4)

fkrさんの記事のレスで、まとまった新しい記事になりそうだったから、とりあえず新しいエントリーで。

fkrさんの記事がつついていたのは、民主主義の基本だと思った。 以前、アメリカ人とコロンバインの事件を受けて、銃の規制について話したときに、la politqueと似たような話が出た。 アメリカの法律的に、民間が武装をする権利を持っているのは、自分を守るだけじゃなくて、政府が暴走した場合、それを止める手段を民間に残すためだと書いてあるらしい。(その人がそういってた) ま、そんな哲学的な理由でギャングスターが鉄砲を買っているとは思えないけど、これこそ、究極の「政府の監視」なんだなと思った。

もちろん、実際はそんなのは全部ウソで、現にアメリカ政府は暴走してるし、軍隊が強すぎて民間のちっぽけな武器じゃ核弾頭は壊せない。 というわけで、「監視」というか、どちらかという「眺める」とか、「観察する」程度しかできないのが現状なので、とりあえず、ここから先はフィロソフィーの世界での話をします。

民主主義では政府はある意味、collective government(結果として存在する政府)なわけだから、それの構成物質である民の思考が多かれ少なかれ、反映されるはず。 そこで、「自分で考える」ってのが出てくるんだと思う。 ただ、自分で考えるってのが結構複雑な現象で、意外に落とし穴が多い。 「考える」には正確な情報と、正確な知識が必要。 その上に、正確な意識(道徳)もないといけない。 正確な情報はそれなりに手に入ると思う。 問題は正確な知識。 これは主に教育からくると思うけど、教育の質が落ちると、「自分で考える」プロセスがガタガタに崩れる。(指で一桁の足し算するアメリカ人の大人、結構多い) そこに追い打ちで政治的なフィルターのかかったジャーナリズムを投入すると正確だったはずの情報が「ちょっと正確で、ちょっとウソ」になって、情報さえあれば自分で自分を直す能力があるはずのプロセスなのに、回復不能になってしまう。 こうなってしまうと、キリストだろうが釈迦だろうが、あのブラピだろうが「自分で考える」ことはできない。

言いたいのは、教育と情報を規制しているのが政府でありながら、「ほら、きみたちに必要なパーツは全部そろっているじゃないか」と言って、民が「自分で考えている」錯覚を作り出すことが想像以上に簡単だということ。 (ブッシュさん大得意)

「騙される方が悪い」というのも、非常に極端な民主主義的な考え方だと思う。 理想の世界では確かに「騙される方が悪い」んだけど、これはどっちにも転べる。 「正確な情報が出回ってて、正しい対処法を知る手段があって、しかもどこかで自発的に参加する意図を示していながら、騙されたのであれば、騙される方が悪い。」 法律的な臭いがするような文章だけど、「騙される方」が本当に悪いと言えるためにはそれなりの条件があると思う。 で、この条件をすれすれによけることも可能だと思う。 それが、よくある契約の問題だと思う。 「正しい対処法を知る手段があって」となってるけど、例えば、対処法を知るためにかけるフリーダイヤルの番号があるとする。 そこにかければ答えがもらえるから、一見、条件をクリアしている風に見える。 がしかし! その番号にかけても、ひたすら「ただいま回線が込み合っております」となってしまうと、「手段」はあっても、結果的にはその情報は手に入らないという落とし穴に見事はまってしまう。

さてさて、ここでパターンが見えてきてるでしょうか? 「手段」と「結果」を同じものとして提示していること。 拳銃を渡して「政府を監視する手段」、教育があるから「自分で考える手段」、フリーダイヤルがあるから「返品する手段」。 自分の状況をコントロールする手段を与える事によって、個々人から見えている世界は「自分の秩序に基づく世界」。 ただ、「手段」と「結果」は実際は一体ではないので、「自分の秩序に基づく世界」は錯覚で、いざなにかしようとすると、手段が壊れてたり、恐ろしく遅かったりして、結果に結びつかない。 でも、「手段」は全部あったから、うまくいかないのは騙された方が悪い。 (これ、相当アメリカ式日常生活) 機能しない手段を残して、それとともに責任も民間に渡してしまうわけ。

このスタイルの民主主義が本格的な、ハードコアな民主主義であるとすると、これはまったくうまくいかないと思う。 そう、オレ個人の意見としては、完全な民主主義は非常に危険だと感じている。 民主主義のシステム自体が壊れやすいし、悪用されやすい。(以上、民主主義について)

「自分で考える」ことは重要。 日本の小学校でla politqueみたいな本を使って勉強するのもいいと思う。 けど、la politiqueを政治的に透明なものに保てる保証はどこにもない。 その本一札、授業一つが腐ると、日本全国の小学生に恐ろしい教育をすることになる。 しかも、「自分で考える」手段を教育に組み込んでいるわけだから、最終的には「手段があるから、騙される方が悪い」ってことになりかねない。

一歩次の話題でいうと、「自分で考える」というプロセスはどんどん個々人の区別を大きくする。 みなさん独自の考えを持って、勝手なこと言い出すわけですよ。 これって、政府からしてみると、ものすごく有利だと思う。 だって、民が自分で集合しないように努力するわけだよ。 集合してない、個々の状態だと、集合体としてはもっと強い政府・軍隊の力で扱いやすいけど、10万人が同じ事いいだしてみぃ。 みんなが「いやちょっとまて、自分で考えさせてくれ」ってやると、10万人ほどの恐ろしい統一された意識をつくりにくい。

結果的には個人意識vs全体意識の話になると思う。 日本は幸い全体意識が強い。 つねに世間様を気にするし、前にも書いたけど、欧米社会が気になる。 全体的なシステム構造のなかに、自分がどういう位置づけで存在しているか、さらには、全体のシステムが円滑に動くように自分がどう調整すればいいか。 極端な状態であるけど、個人はある程度システムの「結果」である。(collective governmentと逆の立場) 効率面では、これは究極的に生産的である。 もちろん、全員がそうであるとは言えないけど、この根本的な民族性は明らかだと思う。 この全体意識は世界的にも日本が優れているところだと思うから、それを失うのはもったいない。 ただ、そのなかでの個人意識をどうやって培うか。 「結果」個人がいるわけじゃなくて、全体を意識した上で、自分の居場所を自分で見つけること。 全体を意識できるのとできないのとじゃ、世界が完全に違うからね。(アメリカ人これ苦手)

うん、非常に長くなってしまったけど、題材が複雑なだけに、話が細かくなるね。 うん、この話題はまだまだ続くね。 みんなの視点が非常に気になる。

Posted Comments

ええと、本題に対するリプライではないのですけども、最近日本文化研究をしていて面白いなー、と思った仮説に、古い文化的要因が現代社会に危険な影響を及ぼすことがある、という話があります。アメリカでは毎年何千何万という人命が銃によって奪われている。それほどの大虐殺がくりかえされてなお銃を容認する先進国は他にはないが、いまだに銃規制を法制化できない理由の根底に存在するのは、フロンティア精神に根ざした銃への執着なのだという。ただ単に産業革命以降急速に発達した科学技術のみが悪役なのではなく、文化的アイデンティティが元々持っているものを、科学技術が悲劇を増幅させているのだという。

また、これと同様のロジックに基づいて、日本は土建行政によって致命的な環境破壊をしており、またそれが戦前においては軍事技術の極端なまでの発達を引き起こした。それは日本文化の根底に存在している「最後は行き着くところまで行ってしまう」文化なのであると。なにをやるにしても頂点を極める、日本刀をつくるのでもコンピュータ・チップをつくるのでも改良改良、また改良でなんでも世界一を目指そうとする。そして起きた悲劇が第二次世界大戦における敗戦だったのだと思うのだけれど。

2007.09.03|tama

「一歩次の話・・・」の段落の話は、なるほどなぁと思わざるを得ないのぉ。

個人主義vs全体主義の話を国家レベルではなく、もっと小規模に考えてみた。そのきっかけになったのは、つい先日、人事部長と会社組織に関して話し込む機会があって、「うちの会社は極端に個人の能力が問われる」という見解で一致した。
外資企業だと当たり前だと思うんだが、(元)うちの会社って、ぜんっぜん外資風土じゃないからな、、、と思ったときに、ケンの分析で言うところの全体意識vs個人意識の話に密接に関連するなぁと思った。
物づくり組織における物作り現場はcollective governmentな一方で、一般的な日本企業と同様に、会社であるからにはシステムの結果として(よく言われるところの歯車)の個人という意味合いもあり、まさにその中央境界点にいる僕らマネジメントは、複雑多層な天秤をいつもハンドリングしてる意識だった。
そこに正解なんて無いんじゃないかね、たぶん。正攻法はあるかも知れないけど。
はぁ、経営とは、事業規模にしろ、会社規模にしろ、国家規模にしろ、難しいアルヨ。

2007.09.04|ikeponia

フロンティア精神ねぇ。 確かに、イメージ上はそうだと思うし、大半のアメリカ人もそうだと感じてると思う。 でもオレの知ってる限りだと(マイケルムーアのドキュメンタリーとかで)やっぱり武器のメーカーが強く関わってる部分があるらしい。 なんせ、武器のメーカーは軍隊と密接に関係してて、そこらへんで政府のバックアップが入ってしまうんじゃないかな。 結局はビジネスなのね〜、って感じ。

2007.09.05|ken

池> 確かに、全体的な構造は国家も小さな単位で会社やプロジェクトチームでも同じかもね。 ニクソンだっけ、国を強くするには家族を強くする必要があるって言ってたの。 一理あると思うね。

モノ作りの環境でのcollective governmentか。 本当はそうであってはいけないと思うんだけどね。 クリエーターが全体の行程を意識しながら、その制約のなかで効率的に動くってのが、やっぱり職人としては当たり前だと思うけど。 もちろん、全体の行程がおかしければ、それを指摘する義務もあるし、全体の行程を安定させる義務もある。 結局、メタな「意識」と作業・機能的な「立場」ってのが両方あって、「意識」は全体で、「立場」が個人主義でなければいけないと思うね。 で、ミーティングでは個々人の「立場」を報告して、全体像をアップデートして、それがみんなの新しい全体の「意識」になる。 ま、人類がそれをできるようになるころには、ドラえもんもギャバンもダイナマンも発明されてるだろうから、必要ないかもね。

2007.09.05|けん

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