No.29:西山太吉事件のけじめ

ちょうど30年前、毎日新聞のひとりの政治記者がペンを折った。西山太吉(当時40歳)というこの男は数々の特ダネをものにした敏腕記者であったが、外務省詰めの記者時代に政治権力と自らが身を置くメディアによって押しつぶされていった。

佐藤栄作政権の時代だ。沖縄は米軍に占領されており、その返還交渉の過程で、米国側が土地の復元補償費として支払うべき400万ドルを日本側が肩代わりするという密約が日米で取り交わされた。この密約を裏付ける外務省の極秘電信文を入手した西山記者は、それをストレートな特ダネ記事にしないで、電文を社会党の横道孝弘議員(現民主党議員)に渡し、国会で追及する手はずを整えた。

横道議員は衆院予算委員会で、密約の存在について佐藤首相をはじめ福田赳夫外相や外務省条約局長らに厳しく問いただした。さすがの政府首脳も慌てた。「横道は極秘電文を本当に持っているのか。そうならば、誰がそれを漏らしたのか」などと憶測を呼び、首相官邸や外務省は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

横道議員が質問をした翌日には、福田外相らが密かに社会党と接触、電文が本物であることを確認。3日後には、外務省の女性事務官(当時41歳)が西山記者に渡したことを突き止めた。この女性事務官と西山記者はまもなく、国家公務員法違反の疑いで逮捕されることになった。

密約という国民を欺く行為を暴いた記者が逮捕されたわけだ。とんでもない権力介入で、毎日新聞をはじめ多くのメディアは反発、「国民の知る権利」や「報道・言論の自由」を訴えた。「国益」と「知る権利」のどちらを優先すべきなのか、という議論にも発展した。

漏洩事件を捜査していた東京地検特捜部は2人を起訴、その起訴状において、西山記者は女性事務官と「ひそかに情を通じて」、これを利用して秘密文書を持ち出させたとした。この「情を通じて」というひと言によって、事件は重要な政治や言論の問題から一挙に男女関係をめぐる通俗小説のようなレベルに落とし込まれていった。事件の本質をすり替えていくという政府のやり方は、鮮やかで、しかも狡猾だった。西山記者が情報源である女性事務官の名前を証したこともあり、毎日新聞は「道義的に遺憾な点があった」としておわびの記事を掲載することになった。

これを境にして国民の知る権利やそれと国益との対立、密約の存在を頑なに隠す政府の姿勢など重要な問題はカヤの外に置かれ、週刊誌をはじめとするメディアは西山記者と女性事務官の男女関係をいっせいに書き立て、プライバシーを暴いていった。両容疑者が起訴された翌日、ノーベル賞作家の川端康成氏がガス自殺をし、世間を驚かした。文章で身をたてた代表的な作家が自殺し、やはり文章で生きる新聞や週刊誌メディアも妙な符号だが、自殺同然のことをしてしまったのである。

国家的な犯罪ともいえる密約事件と男女関係をごちゃ混ぜにして、ふたりの男と女を生け贄にしたメディアのありように怒りすら感じる。その後、佐藤首相は沖縄返還などの功績が認められノーベル平和賞を受賞し、福田外相は首相になった。横道議員も国会議員を続けている。

沖縄返還から30年後の2002年夏、密約を明記した米政府の公文書が米国立公文書館で見つかった。西山記者のスクープ記事は真実であったことが証明されたのだ。しかし、日本政府は依然として密約の存在を認めていない。事件があった当時の福田外相の息子、福田康夫氏は時代がめぐって官房長官になり、記者の質問に対して「密約は一切ない」と言明した。

現在、西山氏も元女性事務官も健在だ。両者とも沈黙を守り続けてきたが、西山氏は自分の記事が正しかったことが証明されたこともあり、2年前、30年ぶりにメディアに登場、当時のことを振り返った。彼の重い口を説得して開かせたのが、琉球朝日放送の土江真樹子ディレクター(現在、名古屋テレビ勤務)だ。

密約という存在を暴こうとした日本のメディアは、権力側に完敗した。政府はいまだに密約はなかったと臆面もなくいっている。これ以上惨めな負け方はないと言っていいほどに叩きのめされた。1970年代前半の権力とメディアの関係と、現在のイラクでの日本人人質事件や自衛隊報道などをめぐる権力とメディアの関係に同質のものを感じることがある。これは西山事件のけじめがつけられていないという証左のように思える。

※ 土江真樹子氏との対談は、「メディアン・ルーレット」の対談版として、近く掲載します。

(2004年9月22日)

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