対談:北山節郎VS徳山喜雄 「戦争とメディア――歴史から何を学ぶべきか」 徳山 北山さんは、第二次世界大戦中に日本が行なった海外放送の歴史研究で、たいへん大きな業績を残されました。著書の『ラジオ・トウキョウ――戦時体制下 日本の対外放送』(全3巻)で、1988年に日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞されています。この本は、どういったきっかけで書くことになったのですか。 北山 私は1959年からNHKで国際放送の仕事をしており、自分の仕事と職場の歴史に関心を持ったわけです。現在は国際放送といわれていますが、始まりは1935年に開始された海外向け放送「ラジオ・トウキョウ」です。この放送は45年の敗戦とともに中止されますが、この10年間の短い歴史のなかに日本の激動の歴史が凝縮されています。なのに、日本の対外放送が戦争の時代に、何を世界に伝えたかが総括されていない。ということで、放送開始から占領軍によって中止されるまでの10年間を調べることになりました。 徳山 ラジオ・トウキョウは10年間しか存在しなかったのですね。ラジオ・トウキョウの由来は? 北山 初めは単に日本放送協会の海外放送というぶっきらぼうな呼び名でしたが、5年くらいたった1940年頃、海外向け広報誌が誌名を「ラジオ・トウキョウ」としたのがきっかけになりました。正式にどの時点で認知されたのか難しいところです。戦後、民放が出来た時のTBSの「ラジオ東京」と混同されやすいが、全く別のものです。 徳山 この3冊を、どれくらいの時間をかけて書かれたのでしょうか。 北山 職場の歴史を調べてみようと始めたのが40歳を過ぎてからです。出版が87-88年ですから、10年以上かけて書きました。愛宕山にあるNHK放送博物館の資料を原稿用紙に書き写して積みあげて、時系列で整理し、足りない資料は調べて付けたしていきました。やがて、整理して目次をつけなければ、と思いました。戦中放送に従事していた人たちから、幸い聞き取りもできました。そういう意味では、先輩との共同作品です。 徳山 『ラジオ・トウキョウ』が日本にある資料を元にして書いたものであるのに対して、アメリカにある資料を基にして書いたものが、1996年に出版された『ピーストーク――日米電波戦争』ですね。日本にないものを、アメリカ側の資料から持ってきて空白を埋めるという、たいへん立体的な仕事をされました。素晴らしい著書なのですが、資料入手の経緯を教えてください。 放送を通じて和平条件を模索 北山 海外の資料に関心を持ち始めたのは、日本新聞協会の記者研修制度でオーストラリアに行き、歴史資料を探したことからです。「オーストラリアン・アーカイブス」で目録を入手し、帰国後、オーストラリアが終戦時の日本の対外放送をどのように記録していたかを調べました。その後、本丸はアメリカの公文書館だということがわかり、二度目の新聞協会の記者研修で、ワシントンD.C.にある「ナショナル・アーカイブス」を訪れました。そこで、当時のアメリカ戦時情報局(OWI)が日本の対外放送を記録していることがわかりました。たまたま受付の人と仲良くなり、OWIの資料目録をコピーしてもらうことが出来ました。 NHK国際放送の終戦記念番組が、たまたま私の著書『ラジオ・トウキョウ』をヒントにして番組を制作することになり、1991年にアメリカの公文書館で資料を集める機会が与えられました。日本の放送の傍受記録が多数残されているワシントン郊外のスートランド分館を訪れ、事前に目星をつけておいた資料を調べました。戦争末期に日本とアメリカが放送を通じて、和平条件を「交渉」したと思われる記録がありました。アメリカは日本の放送を録音し、英訳し、日付ごとに分類し、その内容をカード化していました。5インチ×8インチのカードが約2万枚あり、大分類「日本」、中分類「プロパガンダ・ライン」の中に、「ピース・トーク(和平論)」というのが見つかりました。さらに、原爆投下を非難する放送記録のカードがあり、それは「アトロシティズ(残虐行為)」と分類されていました。 ピース・トークのカードには、ザカライアスと対話を行なった井上勇の名前が出ていました。これは決定的な証拠だと思います。日米双方の放送というチャンネルを通じて、和平条件が模索されていたのではないか。これを山場として若い同僚たちが番組をつくりました。NHK退職後にそれを基にして、メディア史研究会というところで発表し、論文にしました。これが編集者の目にとまり、電波を通じた終戦外交をテーマとした『ピース・トーク』を書き上げ、出版されました。 終戦前に行われた日本とザカライアスとの対話は、ある程度いい線まで行きながら本筋にはならなかたったのではないかという気がする。しかし、天皇の地位をめぐる放送を通じてのザカライアスの答えが、外務省が終戦へと踏み出す大きなきっかけになったという点では、電波による外交が持つ意味は大きい。海外放送というものは、対外宣伝の道具であって相手を貶めたり謀略的なこともやるが、終戦時においては和平への役割も果たした。この両面を見ていかなければならないと思います。 高度な言語活動を展開 徳山 『ピース・トーク』を読んで感銘を受けたのも、まさに今言われた点なのですが、プロパガンダとして電波が使われるというのは昔からあって、現代でも続いています。その一方で和平への役割を果たしたという点は、目から鱗が落ちるような思いで読ませていただきました。ザカライアスと電波を通じて対話した日本側の主な人たちは、同盟通信社海外局次長兼情報部長の井上勇氏、日本放送協会海外局編成部長の大屋久壽雄氏、外務省情報局第3部対外報道課の稲垣一吉情報官の3人ですね。彼らは国家や組織の一員として職務を実行したのですが、そんななかで個人としてもしっかりとものを考え、ときには国家の方針に反しても、こうあるべきだという放送を工夫をこらしておこないました。北山さんはこうした部分も、意識的に書いていらっしゃいますね。 北山 日本側の中心となった3人は、海外経験豊富な人たちで、日本をクールに見る側面を持っていたのではないでしょうか。この人たちが毎日ニュースのことで打ち合わせするなかで、日本がこのまま戦争を続けていいのか、と激論を交わしていたと推測できる。具体的に放送で対話するという発想に至ったその過程を、是非この方たちに、直接お伺いしたかったのですが、時遅しでした。結果的に3人の個人が中心にはなっていますが、組織の上司も共通した認識を持っていて、邪魔が入らないように陰に陽にバックアップしたのではないかと思っています。 徳山 政府機関、またそれに密着した組織に属するとはいえ、軍という当時最も巨大な力を持っていた組織の目を盗んで、この3人は上手くやった。1人は外務省で、2人はジャーナリズムの人ですよね。ジャーナリズムが巨大な権力に対して、あの第二次世界大戦のような言論統制の厳しい時代に、そういうことを果たせたということを現代のジャーナリストも学ぶべきではないかと思っているのですが。 北山 2人のジャーナリストも強烈なアンチ軍という意識を持っていたわけではなく、より柔軟な頭脳の持ち主で、喋る言葉もある意味で体制側のいわゆる「奴隷の言葉」を使いながらも真意を伝える、という高度な言語活動をしたのではないでしょうか。当時日本からさまざまなアメリカ向けのプロパガンダ放送が流されました。きわめて愛国的な放送も同時に流されているのですが、丹念に傍受記録を見ながら、日本人の真意や本音をアメリカ側は探ろうとしている。早い段階から「ピース・トーク」というカテゴリーで作って、傍受記録を整理していったアメリカの分析能力は大変なものだと感じる。 徳山 発信した井上、大屋両人の高度な言語活動も凄いなら、それをアメリカもちゃんとわかっていたということですね。 北山 皆一様にひとつの声で放送しているように一般的には受け止められているが、実はその中で何か異質なもの、あるいは特異なメッセージが出ており、それをキャッチする能力がアメリカ側にあったのだと思います。 徳山 おそらくザカライアスと日本側の井上、大屋、稲垣さんたちは、お互い分かり合って交換していたわけですよね。 北山 感性が似ていますね。 ポツダム宣言受諾を同盟が打電 徳山 柔軟という言葉を使われましたが、剛と柔のジャーナリズムがあり、仮に剛の部分でズバズバやっていたら、おそらく解職されるし、場合によれば特高(特別高等警察)に捕まったと思うのですが、たいそう柔軟でかつ巧みな思考と言語でやってのけた。たいへんな知恵だと思いますが。 北山 最初に放送した井上が「一杯ひっかけてやった」と伝えられていますが、実際にそうしたのではなく、カモフラージュしながら知恵を働かせてやったということを匂わせている感じがする。直球だけではできないことですよね。 徳山 もう一つ驚いたのは、ラジオ・トウキョウや同盟通信が軍による発表に先駆け、重要なニュースを海外にかなり多く発信しましたよね。原爆投下、ソ連の参戦、ポツダム宣言の受諾報道などがそうで、玉音放送の前日にポツダム宣言受諾のニュースを流していますよね。日本国民が情報を知る前に外国人や占領地の人が知っていたのですが、そういうことがああいう厳しい時代にどうしてできたのですか。 北山 アメリカから取り寄せた資料をみると、広島原爆にしてもこれまでに言われているよりも早く日本側からニュースが流されています。基本的にラジオ・トウキョウは、同盟通信がほぼ唯一のニュースソースだったのですが、同盟の当時の取材能力はたいへん高かった。同盟は軍からのニュースをキャッチし、さらに外国通信社の報道をウォッチすることで、大事なことを網羅的に把握していました。このためニュースに対する感覚がたいへん鋭かった。8月10日、原爆投下に続いてソ連参戦があり、日本はポツダム宣言を受諾する決意を固めた。同盟がこれを即座に打電したため、トルーマン米大統領は同盟電によって、宣言受諾のニュースを知ったと回顧録に書いている。AP通信社も同盟の報道として全文をそのまま全世界に配信した。同盟の速報は、外務省との関係を密接にしていなければ出来ないわけで、ただ縦のものを横にするのではなく、外務省の意図をくんだ形で原稿を書き、送信したのです。こうした同盟通信社の質的な取材能力の高さに対して、どこも文句が言えなかったのでないだろうか。もちろん同盟通信社が、国策に協力しているという大前提が共通の認識としてもありますよね。ラジオ・トウキョウも軍から禁止されるまで、このニュースを流しました。メルボルンの公文書館には、日本時間11日午前零時の受諾放送の傍受記録が残されている。 徳山 では、同盟が一歩早くニュースを流すということに対して、軍は流すなとか、実際に困った、ということはなかったのですか。 北山 具体的には国内で放送されていないものをアメリカに流すなどけしからん、と東南アジアに駐留している軍から文句がきたと言われます。大屋の手記によると、受諾放送を聞いた南方の日本軍が真相解明を東京に求めたため、憲兵が11日朝から入れ替わり立ち代り、放送協会海外局へやってきます。「売国奴」による陰謀放送だと興奮していたそうです。大屋の机のまわりには、常時2人の私服の憲兵が配置されたとのことです。 東京ローズと呼ばれた女性 徳山 軍としては当然、こういった放送を善しとしていなかったわけですよね。でもそれを流し続けることができたというのも今から思うと不思議ですね。それでは、「ゼロ・アワー」という番組についてお話をお伺いします。これはラジオ・トウキョウのディスクジョッキー番組で、アメリカのポピュラー音楽を流し、日系米国人女性が太平洋の戦場の米兵に語りかけます。いつしか、このディスクジョッキーが「東京ローズ」と米兵によって名付けられ、たいへんな人気を呼びました。東京ローズは実際には20数人いたそうですね。その中で戦後、唯一名乗りを挙げたのが、アイヴァ戸栗さんです。自分が東京ローズであったことを告白し、一躍時代の寵児になるのですが、アメリカに反逆罪で起訴されて有罪になり、アメリカの市民権をも剥奪される、という悲劇の生涯を送ることになりました。 北山 東京ローズが20数人というのは、日本の勢力範囲内から放送した女性アナウンサーを含めた数で、厳密には東京で勤務していた海外向け放送の女性アナウンサーは5、6人です。アイヴァ戸栗さんはその後、特赦で釈放され、現在もシカゴで健在のはずですが、当時NHKで一緒に働いていた人たちに聞くと、なぜ彼女が簡単にスター気取りで東京ローズであることを認めたのか、ことの重大さが分かっていない、と批判する人もいます。まして日系人であれば、ああいう戦時下の状況で自分たちがやったことがアメリカにとってどんな意味を持つのかを考えるべきだったでしょう。彼女は来日前、UCLAの大学院におり、最高の学歴の持ち主なのに、ナイーブ過ぎました。その辺が分かっていない。 徳山 そうですね。ふつうに考えたら、対米プロパガンダ放送のスターであるわけですから、敵中の敵で、反逆罪にされても仕方がないような立場だったわけですよね。 北山 当時の彼女の録音された音声を聞くと魅力的です。悲劇のヒロインの声ではなく、自分はアナウンスという素晴らしい仕事をしているという自負心が伺える声です。ですから、東京から放送したことに生きがいを持っていたのではないか。自分は選ばれて出演しているというエリート意識が、日系人としてのアメリカへの贖罪意識を上回っていた気がします。私は、サンフランシスコでの裁判の膨大な裁判記録を持っています。全部読み、いずれ分析しなければいけないと思っています。色々な人が証言していますが、裁判所は本当に証言すべき人を見逃しています。日本から何人も行きましたが、証言すべき価値のある人が一体どれくらいいたのか。たとえば、アメリカ向け放送の責任者であった人がいます。この人はアメリカ出身者ですが、宣誓供述書にも全く登場しない。不思議ですね。番組を実際に作った実務責任者、組織上の責任者が出てこないわけです。特に組織上の責任者である米州部長がいますが、証人になっていない。この人は戦後英字新聞の最高幹部になり、さらに日米協会の要職についています。つまり彼は占領軍にとって、戦後日米関係の市民レベルのたいへん重要な駒だったのではないか。そのため、裁判で証言させたくない、という占領軍の意図があったのではないでしょうか。アイヴァ戸栗の裁判において基本的に証言すべき人がしていなかった、という問題提起をしないといけないと思っています。 生け贄になったアイヴァ 徳山 裁判は海を越えたサンフランシスコであったにもかかわらず、日本からも多くの人が証言にいきました。でもキーマンが召喚されなかったわけです。 北山 彼女は、戦後における「日米関係の生け贄」なったと考えるとまさに悲劇的です。同時に自分のやった仕事に対する自己チェック能力が不足し、自ら名乗り出たということが軽薄といわれても仕方のないことで、今はやりの「自己責任」でもありましょう。しかし、いま振り返ってみると、戦中放送で日本を代表するのはゼロ・アワーであり、東京ローズです。こう考えると、アイヴァ戸栗さんは世界の放送の歴史に残る凄いことをしたわけです。 徳山 放送とプロパガンダという視点で見たならば、ゼロ・アワーという番組は大成功した番組だといえるのではないでしょうか。アメリカの通信社の記者が日本に行ったなら、ヒロヒト天皇と東京ローズにインタビューしたいと言ったぐらいの凄い知名度でした。NHKの長い歴史のなかでも、世界向けではゼロ・アワーが一番じゃないですか。戦時のプロパガンダ放送としては、それくらい良いできのものだったのではないでしょうか。 北山 アメリカのナショナル・アーカイブスの中に彼女の声が残されています。確かに戦後は悲劇的であったが、人間の一生を考えた時、放送にかかわってきた人間にしてみれば、自分たちのかかわった放送が歴史に残るということは勲章ではないかと思うのです。彼女なりに、当時の自分の全てを音声表現の面で発揮できた。最高の時を持ったのではないでしょうか。放送マンたちは、そういう仕事を残したことをうらやましいと思っているでしょう。反省はしても決して恥じることはない。凄い人生だったと自負できるのではないでしょうか。「東京ローズ論」を自分の最後の仕事にしたいと思っています。 徳山 ぜひ、北山さんの東京ローズ論を読みたいと思います。日系人ということで英語もうまく喋れるし、アメリカの文化もわかる、それでいて日本のこともわかる、という彼女の生まれながらに持った特権的立場があって、ゼロ・アワーという番組をより完成させていったのでしょう。それでは現代の話に移りたいと思います。戦場ともいえるイラクに自衛隊が派兵されました。戦後史の大きな節目であり、このようすを取材し、国民に知らせることが当然なのですが、石破茂防衛庁長官が一方的に取材自粛を要請したり、立ち入り取材証の発行と引き換えに、取材の手足を縛るような誓約書にサインを求めるなど、一方的に取材ルールを押し付けるということがありました。自衛隊はイラクに人道復興支援のために行ったはずなのに、従軍取材並みの細かなルールを課して報道規制してきました。第2次世界大戦中と現在とを比較して、どのように思われますか。 戦場から撤退するスタッフ 北山 政府ないし軍というものは、メディアに対して基本的には彼らの考えを押し付けるものです。今の問題でいうならば、新聞協会が絡んでくるのが現代的な特色だと思う。報道統制にメディアの方からコミットしたという歴史的なことじゃないかと思う。 徳山 コミットしたというのは、メディア側が擦り寄ったということですか。 北山 いいえ、共同参画したというか、それによって、メディアの現場からの条件を提示したということは悪くなかったと思う。結果として出たアグリーメントに、守るべきことがいっぱいあるのだが、ここまで詳細に決めなければならないのかと思う。 徳山 合意文書を見ましたが、申し合わせ事項が細かすぎて、そうとう丹念に読まなければわからない。「報道しても支障のない情報の例」と「安全確保等に影響し得る情報の例」が一覧表にされているが、こんなものをいちいち見ながら報道するのは時間の無駄だし、問題の本質を見誤る。 北山 陸上幕僚幹部が出してきたアグリーメントは、戦闘を前提にしたアメリカ軍の報道規制のコピーですよね。自衛隊は戦争に行っているわけではないのだから、ここまで守らなければいけないのかということですよ。 徳山 人道支援活動で行くのとは全然違うような感じですよね。 北山 自衛隊は建前では人道支援といい、実態としては戦地にいくのだという矛盾をメディア側が黙認してしまったことになる。実際に調整に当たったひとり毎日新聞編集局次長の伊藤芳明さんが「今回の取材ルールを、読者に必要な情報を提供する前向きの一歩とするつもりです」(2004年3月12日付毎日新聞朝刊)といっているが、そんなものなのかなと思う。 徳山 今回は防衛庁とメディアの間に新聞協会が調整役として入りました。新聞協会というのは各メディアの代表者で作っているわけですから、メディア側と防衛庁との話し合いがあったということです。戦時中というのは、こういう話し合いはなく、一方的に軍がこうしろといってきたわけですか。 北山 「よろしくお願いします」という形だったと思います。少なくともメディア側が注文をつけたということは聞いたことがない。新聞協会が入ったということだけでも、時代が進歩したといえば進歩したということですかね。 徳山 その分は進歩したのかもしれませんが、たとえばアフガン戦争の時もイラク戦争でも、空爆が始まるとメディア側のスタッフは撤退し、フリーランスが残るわけですよね。そういう現状を見ると、まだ戦時中は日本人記者が軍について行っていました。軍の一部の報道班といったものかもしれませんが、現場にいたわけです。その時は本当のことを言えなくても、後であの時はこうだったと言うこともできるわけです。やはり現場にいることは重い。なのに、政府に言われて、日本の大手メディアはサマワから記者をそろってひきあげる。 権力との距離感 北山 自衛隊の宿営地があるサマワからも日本人記者たちは引き上げてしまっている。何のために取材ルールを作ったのか。イギリスのBBCの場合、イラク戦争の初期にイラク北部を有名なシンプソンという記者が独自取材して、メンバーがケガしたことがあった。しかし、報道は基本的にインディペンデントであらねばならぬ、という姿勢がそこにはあると思うのです。ジャーナリズムの基本じゃないかと思う。政府から出ろといわれて、政府専用機で出てくる。ここで喧嘩してはまずい、自分の社から犠牲者が出てはいけない、でもフリーランスはケガしようが何をしようが構わない、このように思っているのか。経営の論理が先に立っている感じがする。自分たちの戦争報道とは何なのか、ということを常に自問自答していかないといけない。戦場の報道統制を受け入れるのが、当然みたいになってしまっているのですよね。 徳山 でもイラクが戦場なら、本来自衛隊を出すわけには行かないのです。小泉首相も言っているように、あそこは平和だという前提で自衛隊を派遣しているわけですよね。あらゆることが、矛盾だらけでちぐはぐだ。いま現在、サマワに大手メディアの記者がひとりもいないのも大変おかしいと思いますね。自衛隊が戦場ともいえる場所に派遣され、戦後の日本の安全保障が大きな岐路に立たされているのに、その現場の様子を伝える術をもっていないのは、大手メディアの怠慢だと思います。フリーランスだけが残るという、そういう現在の姿をどう思いますか。 北山 少なくとも各社の部長以上の人は仕方がないと思っているのでしょうね。 徳山 経営側の人間にとってはそうなんでしょうかね。 北山 何を伝えなければいけないのか、そのために何をすべきかということを各メディアが根性を据えて考えているのか。体制の流れのままにそれを受け入れることで生きていくことしかないのかなと。 徳山 経営の問題があるかもしれませんが、ジャーナリズムというものが対極にありますよね。組織と個人と言い直してもいいかもしれないし、あるいはナショナリズムとジャーナリズムと考えてもいいかもしれません。距離感の持ち方ですよね、かつて第2次世界大戦のときに井上さんや大屋さんがもったスタンス、そういう距離感の持ち方をどういうふうに考えられますか。 北山 問題は、メディアが自分の目ではなくて他の人の目を借りて伝えているのですよ、ということをどの程度意識しているのか、それを充分にに知らせているのかということです。見る人にこちらから見ているのですよ、本当はこれが真実ではないかもしれませんよ、一部にしか過ぎないのですよということを常に視聴者や読者に注意を喚起しているのか、ということです。現象としてこのように伝えているけれども、真実は別にあるかもしれませんということを意識させて欲しいと思います。現地に行かなくても構わないから。 アルジャジーラの姿勢 徳山 中東のメディアにアルジャジーラという放送局がありますが、大変特異な役割を果たしていますね。今回の日本人の人質事件でもメッセンジャー的役割として彼らの映像を流しました。またイラク戦争やアフガン戦争でも色々なところで大変な活躍があったのですが、アルジャジーラという放送についてはどのように思われますか。 北山 湾岸戦争がCNNの時代であるとすれば、イラク戦争ではアルジャジーラというアラブメディアがその存在を明らかにしたといえる。今、アルジャジーラはアメリカから非難されているが、アラブの立場から伝えるというスタンスだけは持っているように見えるのです。それはこれまでのようなウエスタンリポーティングに別のアングルを注ぎ込んだという点で、世界のテレビ報道の歴史で特筆すべきことだと思います。ただし、アルジャジーラがこのままの姿勢でずっと行くか、ということはわからない。今のところと限定しましょう。次に何が起こるかはわからない。 徳山 歴史家である北山さんらしい意見ですね。長い目でみれば、そうかもしれませんが、ジャーナリストの立場からアルジャジーラの活躍に期待したい。 北山 その時々の評価が続くかどうかということは、メディアの経営方針によって変わってくるわけです。現場のジャーナリストが頑張ってみてもどうにもならないことが起こりますよ。だけども、その時にだめだなというのではなく、共感できるジャーナリストがいたら、彼とともに涙するという気持ちを何処かにもっているべきではないでしょうか。良い人が永遠に良い人である、とはいえないのです。 徳山 そういう点では、リアリストであるということは大事だと思います。メディアというのは、その時々で揺れ動きますよね。たとえば、アメリカのメディアは9・11直後は翼賛メディア化し、愛国的論調に始終しました。それまでのアメリカのメディアからは信じられないようなことがおこった。最近ではイラクのファルージャで3人の民間アメリカ人が殺されたうえ、焼かれて吊るされました。その写真をニューヨーク・タイムズなどは1面で報道しました。それまではアメリカ人の捕虜の写真は載せない、まして遺体の写真をみせるなんてとんでもないという状況だった。また今話題になっているイラク人の虐待写真ですが、アメリカ政府にとって極めて不利になる映像ですが、掲載されました。アメリカのメディアもファルージャ以降かなり変わってきましたね。こういう変化の仕方、アメリカ・メディアの報道姿勢についてはどのようにお考えですか。 北山 イラク人虐待の写真もさることながら、4月30日に米ABCのナイトラインでテッド・コペルが9・11以降のアメリカ人犠牲者の名前を30分以上にわたって読み上げました。系列の中では、その放送を拒否した社もあったと聞いています。虐待写真以上にコペルの放送は、アメリカ人の心にずしんと響くものがあったんじゃないかと僕は思っています。そのコペルを支えているものは、なんだったのか。しかし、これでアメリカのメディアが真っ当になったなんて、簡単にまだいえないと思う。確かにメディアは一時期のように愛国主義一辺倒からの変化の兆しはあるが、これが果たしてブッシュ大統領の政策を変えさせるほどの力を持つかどうか、これもそう簡単にはいえない。ベトナム戦争の時、有名なキャスターが現地に行って実情を知らせたが、いまのアメリカにこのような力をもったキャスターがいるのだろうか。 米国人の気分を反映する政権 徳山 いや、いないのではないでしょうか。CBSの著名なアンカーマン、ダン・ラザーなどは、9・11の時にブッシュ大統領について「大統領のなかの大統領だ。彼が望むなら私はどこへでもいく」とトーク番組で言ったわけですよね。権力と一体化しているような感じですよね。 北山 要するに部分的に好ましいような現象が起きてきていますが、それが全体かということを常に考えていかなければならない。9・11以降のアメリカが今どうなっているのか、アメリカに対する観察ですね。アメリカのイラク介入にしても、日本の新聞などはアメリカの知的メディアの社説やオピニオンを紹介するが、それがどれだけアメリカの一般庶民に届いているのでしょうか。愛国者法が出来てからのアメリカという国は、それまでのアメリカと違うのではないだろうか。虐待したのは腐った一部のりんごだといういい方がありますが、それは政権側の言い分だけではないように思う。多くの庶民がそういう感覚を持っている。あれだけイラク人虐待の写真で軍が非難されても、アメリカ人の首切り事件が起これば、次の瞬間に世論はイラクを力で押さえつけなければならないと変わる。そっちの方がまた出てくるのです。ブッシュ政権というものは、アメリカ人の気分を反映している政権じゃないかと思いますね。 徳山 イラク人の虐待報道が出たら、その報復にアメリカ人の首を切った、今度はそれに対してアメリカ軍はさらに大規模な攻撃を加える。以前、ファルージャでアメリカの民間人が殺された、これに対してアメリカ軍はやはりファルージャで報復的な攻撃を行った。虐殺があったともいわれている。報復の連鎖が起こっているわけです。これは結局、旧ユーゴスラビアでのセルビア人とアルバニア人の報復合戦となんら変わらない状態になってきている。イラクを独裁から解放するとか、イラク市民のための戦争とか、そんな大義など全くなくなって、ただ単に何千年も前から行なわれてきた民族紛争や人種差別と同じレベルの戦争になってきたという印象を受けるのですが。 北山 それを考えると僕は絶望的ですよ。サマワにしても本当にアメリカの人たち、日本の人たちが、伝えられるべきことを伝えられているのかどうか。人々を動かし、世の中を動かしていくのは、真実というものを知ったときではないのか。そういう真実を伝えるのにメディアは怠慢ではなかりしや、と思うのです。しかし、アメリカのメディアを長い目で見ると、言論の自由を保障している憲法修正第一条の存在がやはり大きくあり、アメリカのジャーナリストは常にそこを見据え、常に自由に考える姿勢を持ち続けているのではないかという気がする。そういった点で、行きつ戻りつしながら、バランスを回復していくという健全な面もあるのではないかと思う。 徳山 アメリカのメディアは修正第一条を見つめ、つまり言論の自由を見つめ、回復していくということですが、日本のメディアも同じような努力をしていかなければいけないと思います。以前に北山さんが月刊英語教本5月号の巻頭で、文藝春秋の出版差し止め事件についてご意見を書かれていました。「メディアの一部には、週刊誌のやりすぎを指摘し、『良識』を発揮しているものもあります。でも一歩譲れば、さらに踏み込んでくるのが『権力』というものです」とおっしゃっています。これは私のようにメディアに生きる人間にとっては、格言のような言葉ですが、日本のメディアに対して、ご意見や後輩ジャーナリストに伝えたいことをお話しください。 組織を動かしていくのも個人 北山 ひとつだけ言いたいとすれば、日本にも優れたジャーナリストがいるのではないかということです。たとえば、『「非国民」のすすめ』を書いた斎藤貴男さんや、多くのルポを残している鎌田慧さんなど、現在生きている優れたジャーナリストを見つけて、その本を読む。最近、出版されたビジュアル誌「DAYS JAPAN」もそうです。こういう人たちの存在を僕も意識していきたいと思います。 徳山 斎藤さん、鎌田さん、DAYS JAPANの編集長である広河隆一さんは報道写真家でもありますが、いずれもフリーランスでやっている方ですよね。 北山 強調したいのはそれなんですよ。少なくともいま優れた仕事をしているのは、フリーランスです。だから組織ジャーナリストは駄目だというのではないのです。組織ジャーナリストであればあるほど、こういう人たちの存在を意識するというのはとても大事なことだと思うのです。ジャーナリズムという世界にこういう人たちがいてこういう仕事をしているんだ、ということを体のどこかで記憶しておくことが大切ですね。 徳山 いわゆる組織ジャーナリズムというのは、チームを組んで仕事をする場合が多いので、個人の顔が見えなかったり、個人が出にくいという面がありますが、すぐれた仕事をするフリーランスの人たちの仕事に負けないようにやるべきだ、と自戒を込めて思います。ただ、組織だからこそできるということもあると思います。組織ジャーナリストだからこそ、こういうことをやれということはありますか。 北山 組織は大変な力を持っています。何も急がなくていいから自分たちの仕事の採点や点検をして、それを民衆の前に提示していくという大きな責任があると思います。 徳山 私はジャーナリスト志望の若い学生やジャーナリストになったばかりの若い人たちと接する機会が多いのですが、これから組織でやろうとしている若い人たちに対して何かアドバイスはありますか。 北山 組織は安全な場所ですよね。 徳山 シニカルに言われたと思うのですが、もう少しわかりやすく言ってもらえますか。 北山 組織を動かしていくのも個人ですね。前提として組織を意味あるものにするために、組織内部での自由闊達な議論がなされているのかということです。こうした自由な話し合いの積み重ねが一番大事ではないでしょうか。組織ジャーナリストであればあるほど、組織の中での言論の自由に留意して頂きたい。仕事でつかみあわんばかりに激しく議論できた職場も、いつしか上意下達の場になる。変わるのは早いし、モノを言う気風も失われる。その時、確実に仕事の「質」が劣化します。言葉は好きでないけれど、「職場民主主義」のために闘うのも、組織ジャーナリストの大きな使命ではないでしょうか。それが結局、組織に属しながらジャーナリズムの一角にいて、「責任」を果たしていくことに繋がるのではないかと思います。 徳山 ありがとうございました。 (2004年5月15日) |